【DATA】
- 所在地:大阪市中央区淡路町3丁目
- 設計:不詳
- 施工:不詳
- 竣工:不詳
【DATA 】
代表作であるそごう百貨店心斎橋店の北側に建っていた村野藤吾氏の事務所の分室です。
シンプルで小さな建物なので何気なく通り過ぎてしまいそうになりますが、白色の鋼板にディテールレスな開口部を絶妙なバランスで配置したファサードが精悍な表情を見せていました。また、曲線の庇を持つ入口のキャノピーは、その中に雨樋や自動扉等が実に見事に納められ、小さな要素の中に様々なアイデアが凝縮されたものでした。
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200年以上の歴史を誇る大阪の金融街 北浜、堺筋と土佐堀通りの交差点に建っていた証券取引所。楕円形のエントランス部分が地区のランドマークとして親しまれていました。設計は、住友銀行本店建設のために置かれていた建築家集団 住友工作部の中心人物だった長谷部鋭吉と竹腰健三によるもので、長谷部は意匠の名手として他にも多くの建築を残しています。
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東洋紡の専務取締役だった岡恒夫氏の遺贈金を基に綿業関係者のためのクラブとしてつくられた建物で、現在でも当時の用途のまま大切に使われています。設計は、大阪ビルヂング旧館等を手掛けた戦前の大阪を代表する建築家 渡辺節によるもので、独立直前の村野藤吾がヘッドドラフトマンとして設計に携わったことが知られています。
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キタとミナミをつなぐ大阪のメインストリート、御堂筋の南端に建つ、寄棟の大屋根と連続する唐破風の庇が特徴的な大衆劇場です。大屋根と唐破風を組合わせたデザインは、昭和初期の銭湯などにも見ることができますが、唐破風が繰返し用いられているためか、一見してそれらとは異なる印象を受けます。
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先日、会社更生法を申請したそごう百貨店の本店の建物ですが、新本店建設のために取り壊されてしまったため、この姿を見ることはできません。
村野藤吾は指名設計競技によって設計者として選ばれ、これを期に渡辺節の事務所から独立しています。社運をかけた大事業を独立間もない若い建築家に依頼することは、クライアントにとって大きな賭けだったと思われますが、「そごうの命運の6割は建物にかかっている」と建築家に対して告げたエピソードがその決断の重大さと建築家に対する信頼を物語っています。
1931年創業、70年以上もの長い間、大阪ミナミのまちを見つづけている老舗のオーセンティックバーです。
創業当時からずっと使われている落ち着きのあるインテリアと「バー」という言葉から連想するイメージとは正反対の明るい照明は、リビングにいるような心地良さを感じさせますが、少し背筋を伸ばしたくなるような心地よい緊張感が漂っています。
カウンター席とテーブル席があり、カウンター席の縁に設えられた革張りのクッションの心地よさが病み付きになります。また、奥のテーブル席は、壁一面に並ぶミニボトルのコレクションが目を楽しませてくれます。
私は生姜がきいたモスコミュールが一番好きですが、お酒の強い人には 70周年を記念してつくられたカクテル「ザ・セブンティ」もおすすめです。