旧親和銀行東京支店

旧親和銀行東京支店正面

【DATA】

  • 所在地:東京都中央区銀座4丁目
  • 設計:白井晟一
  • 施工:大成建設
  • 竣工:1963年

いつかは来るだろうと思っていましたが、ついにこの日がやってきてしまいました。戦後の建築家の中で多作ではないながらも強烈な個性を発揮した建築家の一人、白井晟一の作品の解体です。 はじめてこの建築を見たときは既に銀行としては機能してなく、しばらくして大手百貨店のオフィスとして利用されていることを知りました。しかし、銀座4丁目の交差点のすぐ近くという恵まれている立地にもかかわらず、1階は閉鎖されたままだったため、暫定的に利用されているのだろうと思っていたところ、案の定、先日ひさしぶりに見に行ったところ解体のお知らせ看板が出ておりました。 この銀行は、白井晟一による親和銀行シリーズの最初の作品。最大の特徴はその開口部の少なさで、これは白井晟一の他の作品にも共通して見られる特徴。銀座という日本一の繁華街、晴海通りに面しているにもかかわらず、華やかさよりもストイックさを感じさせるその姿は、建築物というよりも彫刻といった方がふさわしい様相です。 続きを読む

北國銀行武蔵ヶ辻支店(旧加能合同銀行本店)

北國銀行武蔵ヶ辻支店夜景

【DATA】

  • 所在地:石川県金沢市下堤町
  • 設計:村野建築事務所
  • 施工:清水組
  • 竣工:1932年(昭和7年)

金沢市の繁華街の一つ武蔵ヶ辻。北欧の近代建築あるいはドイツ表現主義を思わせる、タイル張りの外壁に3つの尖塔アーチが並ぶ外観は、新旧混ざり合った町並みの中でひときわ目を引きます。この建物は、今となっては数少なくなってしまった村野藤吾の初期の作品の一つ。
加納合同銀行は、藩政期から北前船問屋を営む加賀の資産家である米谷家の米谷半平氏が米谷銀行を設立。1926年(大正15年)に改称され、この建物はその本店として建設されたものです。1943年に加能合同、加州、能和の三行合併によって北國銀行が創立された後も、しばらくの間は本店として使用。その後、現在の本店ができた後は武蔵ヶ辻支店となり現在にいたります。

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近三ビル(旧森五商店東京支店)

近三ビル天井モザイク

【DATA】

  • 所在地:東京都中央区日本橋室町
  • 設計:村野建築事務所
  • 施工:竹中工務店
  • 竣工:1931年(昭和6年)
    1956年(昭和31年)増築
    1993年(平成5年)改修

 渡辺節のもとで長いことチーフアーキテクトを勤めた村野藤吾のデビュー作。角に丸みを取った褐色のタイル張りのヴォリュームに、開口部をリズミカルに割り付けたオランダ・アムステルダム派の影響が感じられる外観。
 窓は見込みを深くとり陰影が強く出るのが当然とされていた当時、この見込みが浅く縁取りの薄い窓は画期的で、竣工当時は相当モダンな印象を与えたことが想像されます。

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大阪市交通局(旧大阪市電気局庁舎)

大阪市交通局外観

 大阪市交通局の庁舎。当初は、大阪市電気局庁舎として建設され、向かいの関西電力九条営業所(大阪市電気局九条電灯営業所)と一体となって密度の濃い都市空間をつくっていました。しかしながら、先に関西電力九条営業所が建替えられ、2004年には交通局庁舎も建替えのために取壊されてしまったとのこと。今となってはこの濃密な空間を体験することはできません。

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堺筋倶楽部・AMBROSIA(旧川崎貯蓄銀行大阪支店)

アンブロシア エントランス廻り詳細

【DATA】

  • 所在地:大阪市中央区南船場1
  • 設計:川崎貯蓄銀行建築課
  • 施工:不詳
  • 竣工;1931年

 かつて、東は東横堀川西岸から西は西横掘川東岸まで、北は大川及び土佐堀川に沿える一区画から南は長堀の北岸までの地域が、「船場」と呼ばれていたといいます。
 この元銀行の建物はその「船場」の南端のほど近く、堺筋に面して、小品ながら濃密な装飾を持つ端正なファサードを見せています。

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