「なほゆきゆきて、武蔵国(むさしのくに)としもつふさの国とのなかに、いとおほきなる河あり。夫(それ)をすみだ河といふ。」伊勢物語のなかで「名にしおはゞ」の歌につながる一節で、隅田川が昔から重要な地域の境界であったことがうかがえます。
一方、考現学で有名な民俗学者の今和次郎は、その著書「新版 大東京案内」の中で隅田川の重要性をこう紹介してます。「江戸時代に於いて、天然の河川隅田川及びそれに通ずる幾多の河川運河は江戸の商業の生命であつて、江戸の繁栄は隅田川の母から生まれたと云つても敢へて過言ではない。」
現在の隅田川は、立派な堤防が築かれて町から水辺を感じることはできないし商業の生命の役目も終えてしまってますが、数々の近現代の鉄橋、川に面して建ち並ぶ建物、川に沿って走る高速の光、川に寄り添って築かれた時代の積み重ねを見ることができます。