Ichiban-cho , Matsuyama , Japan
旧松山藩主の子孫、久松定謨(さだこと)伯爵によって建てられた洋風の別邸で、当時、この建物は各界の名士が集まる最高の社交場であり、皇族方が来県した際には必ず立寄られたと伝えられてます。
フランス生活が長かった定謨伯の好みから、純フランス風にデザインされたと言われており、天然スレート葺きのマンサード屋根と白いタイル張りの外観は、正面向かって右手に塔が配された非対称な構成、アーチを配した正面2階のバルコニーの陰影等が特徴的です。
また、玄関から中に入って正面の大階段とその踊り場にある船と海が描かれた大きなステンドグラスがとても印象的ですが、部屋毎にデザインが異なる欄間の壁画やステンドグラス、大理石のマントルピース、シャンデリア等、贅を尽くしたインテリアは細部まで見所が盛りだくさんです。
設計者の木子(きご)七郎は、東京帝国大学を卒業し大林組の設計技師を経て独立した建築家で、東京銀座の新田ビル(現存せず)、愛媛県庁舎、2003年にリニューアルオープンした京都の関西日仏会館等を手がけています。
【DATA】
- 所在地:松山市一番町
- 設計:木子七郎
- 施工:不詳
- 竣工:1922年