写真を撮ろうと思っていたわけではなく、何も知らずにたまたまこの状況に鉢合わせ、携帯のデジカメで撮ったのが下の写真です。 神保町は東京でいちばん好きな街です。何気なく見ていた好きな風景が無くなっていく瞬間に偶然遭遇したとき、何を思うでもなく考える前に体が動いてました。 「都市というのはこういうもの」 僕もそう思います。ただ、そこに何も感じないまま通り過ぎていくのか、たとえ言葉にできなくても疑問を感じるのか、この差はとても大きいです。 でも、その疑問はずっと解けないのかもしれませんね。
それは「疑問」なんでしょうか。私にとっては「あー、ここもか」という喪失感に近いように思う。 例えば、 「右端の一軒だけがパラディアン・モチーフっぽいよね」 ってのも4軒あってこそ顕在化してくる。 古い町(平野郷内)に暮らしていると、どんどん「何となく見知っているだけのもの」が失われていきます。喪失感です。そして代わりに入ってくるものが「プロバンス風ミニ開発」だったりすると焦燥感さえ伴います。ただ、それが「レオパレス21」だった場合には、がっかりしたあとに遠い先に起こる次の展開に思いを馳せたりする。 楽観的というのではなくて、受け入れてしまう。イン・プットが多すぎる都市生活者はそうやって日々を過ごすもんだと思っていますが、どんなもんでしょう? ああ、パラディアンの方は看板下ろしちゃってますね。 だいたい「伊勢早へし(?)資料館」って何だったんだろう。
otoさん、こんばんは。 pallaさんの「都市というのはこういうもの」というのを 「都市とは新旧が入り混じってモザイク画のように時代を進んでいくもので、 この光景が都市の様相を表現している」 という風に私は解釈したのですが、どうでしょう? 「なんでだろう」というのは、確かに「疑問」というより「喪失感」に近いかもしれません。 しかも、インプットが多すぎるため、 かつての光景は時間が経つとともにすっかり忘れられていくのでしょう。 ただ、私にとって「なんでだろう」の中には 「本当にこの建物を壊さなあかんかったんかな?」 という疑問が含まれています。 まだまだ使いようはいくらでもあるのになあと。 土地の価値は容積を消化して何ぼと一般的に考えられていますから、 土地の所有者にとって容積消化と同じかそれ以上の価値がある提案をできないものかと、 常々考えているもののまったく答えは見出せずにいるのが現実です。 なんとも答えになってなくて申し訳ないのですが。 ちなみにこの長屋、写真では4連ですが当初は8連かそれ以上あったようです。 写真に写っていない向かって左側には、 いくつかのペンシルビルをはさんで同じデザインの断片がまだ残っています。 また、右端の看板は「伊勢半べに資料館」です。 お店に入ったことはありませんが、化粧品を取り扱っていたようです。 [伊勢半本店]http://www.isehan.co.jp/
oto氏の言う受け入れる姿勢の中にも、やっぱり立ち止まってすこし考えることは重要なこととしてあると思います。後ろばかり振り返ってはなにも変わっていかないのも事実ですけど。。 このファサードを面白がる視点がないからこそつぶしてしまったと考えられますし、その点で残念な気持ちもわかります。 ポジティブに考えるなら、この地割りや大まかな地理条件は変わらないわけで、合理的な平面プランやなにかでもっと本質を突いた何かは残る可能性も高いと思います。私たちはそれを事後であっても、丹念に読み取るしかないし、その努力は必要でしょうね。
qazさんのきもちが少し共有できたかもしれない。都市というのはこういうものだけど、なんでだろうと思うきもちの大事さを感じました。ほんと、なんでなんだろうねぇ。。
写真を撮ろうと思っていたわけではなく、何も知らずにたまたまこの状況に鉢合わせ、携帯のデジカメで撮ったのが下の写真です。
神保町は東京でいちばん好きな街です。何気なく見ていた好きな風景が無くなっていく瞬間に偶然遭遇したとき、何を思うでもなく考える前に体が動いてました。
「都市というのはこういうもの」
僕もそう思います。ただ、そこに何も感じないまま通り過ぎていくのか、たとえ言葉にできなくても疑問を感じるのか、この差はとても大きいです。
でも、その疑問はずっと解けないのかもしれませんね。
それは「疑問」なんでしょうか。私にとっては「あー、ここもか」という喪失感に近いように思う。
例えば、
「右端の一軒だけがパラディアン・モチーフっぽいよね」
ってのも4軒あってこそ顕在化してくる。
古い町(平野郷内)に暮らしていると、どんどん「何となく見知っているだけのもの」が失われていきます。喪失感です。そして代わりに入ってくるものが「プロバンス風ミニ開発」だったりすると焦燥感さえ伴います。ただ、それが「レオパレス21」だった場合には、がっかりしたあとに遠い先に起こる次の展開に思いを馳せたりする。
楽観的というのではなくて、受け入れてしまう。イン・プットが多すぎる都市生活者はそうやって日々を過ごすもんだと思っていますが、どんなもんでしょう?
ああ、パラディアンの方は看板下ろしちゃってますね。
だいたい「伊勢早へし(?)資料館」って何だったんだろう。
otoさん、こんばんは。
pallaさんの「都市というのはこういうもの」というのを
「都市とは新旧が入り混じってモザイク画のように時代を進んでいくもので、
この光景が都市の様相を表現している」
という風に私は解釈したのですが、どうでしょう?
「なんでだろう」というのは、確かに「疑問」というより「喪失感」に近いかもしれません。
しかも、インプットが多すぎるため、
かつての光景は時間が経つとともにすっかり忘れられていくのでしょう。
ただ、私にとって「なんでだろう」の中には
「本当にこの建物を壊さなあかんかったんかな?」
という疑問が含まれています。
まだまだ使いようはいくらでもあるのになあと。
土地の価値は容積を消化して何ぼと一般的に考えられていますから、
土地の所有者にとって容積消化と同じかそれ以上の価値がある提案をできないものかと、
常々考えているもののまったく答えは見出せずにいるのが現実です。
なんとも答えになってなくて申し訳ないのですが。
ちなみにこの長屋、写真では4連ですが当初は8連かそれ以上あったようです。
写真に写っていない向かって左側には、
いくつかのペンシルビルをはさんで同じデザインの断片がまだ残っています。
また、右端の看板は「伊勢半べに資料館」です。
お店に入ったことはありませんが、化粧品を取り扱っていたようです。
[伊勢半本店]http://www.isehan.co.jp/
oto氏の言う受け入れる姿勢の中にも、やっぱり立ち止まってすこし考えることは重要なこととしてあると思います。後ろばかり振り返ってはなにも変わっていかないのも事実ですけど。。
このファサードを面白がる視点がないからこそつぶしてしまったと考えられますし、その点で残念な気持ちもわかります。
ポジティブに考えるなら、この地割りや大まかな地理条件は変わらないわけで、合理的な平面プランやなにかでもっと本質を突いた何かは残る可能性も高いと思います。私たちはそれを事後であっても、丹念に読み取るしかないし、その努力は必要でしょうね。