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【DATA】
- 所在地:大阪市北区中之島
- 設計:岡田信一郎・辰野片岡建築事務所
- 施工:清水組
- 竣工:1918年
土佐堀川と堂島川に南北を挟まれた中ノ島公園に建つその姿は、中之島の景観を特徴付けるもので、かつて水の都と呼ばれた大阪のシンボル的存在です。当時国内最大の規模で計画され、その建設費は莫大なものだったと思われますが、在阪の株式仲買人 岩本栄之助氏の寄付を基に建設されました。
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1912年(明治45年)に設計コンペが開催され、この大事業の設計者として当時30歳の若き建築家 岡田信一郎の案が選出され、審査員を務めた辰野金吾、片岡安が、そのコンペ案を基に実施設計をまとめました。岡田信一郎は、その後、銀座の歌舞伎座や神保町の博報堂など、遺作である丸の内の明治生命館まで、多様な作品を残しています。
外観は、の4本の大オーダーに支えられる大きなアーチとそれを挟んで建つ2つの塔が印象的で、また、赤レンガに白い花崗岩で彩られた「辰野式」と呼ばれる辰野金吾独特の意匠によって、全体に統一感が与えられています。また、窓廻りや各部の装飾にも実に多様なデザインが展開されており、目を飽きさせることがありません。
また、内部に目を移すと、大中小3つの集会室、10の会議室、展示室等がありますが、集会室はいずれもダイナミックな空間の中にが施されています。また、
やその他の会議室にも様々な装飾(
、
、
)が凝らされており、外部と同様見所は尽きません。それらの中でも、明治洋画の先駆者、松岡壽による3階特別室の天井画と壁画が見所です。
1970年代には取り壊しが検討されたこともあったようですが、市民らによる保存運動が起こり、安全性や耐震性能に関する調査が行われた後、1988年には永久保存が決まりました。 96年には保存・再生工事の設計者を選定する公募コンペを実施、 3年6ヶ月の保存・再生工事を経て2002年にリニューアルオープンしています。