【DATA】
- 所在地:東京都中央区築地
- 設計:東京市
- 施工:錢高組
- 竣工:1933年
築地市場のことを魚河岸と呼びますが、これは関東大震災前まで魚市場が日本橋の川岸に開かれていたことに由来しています。被災後は日本橋が東京の中心地として繁栄したため移転を余儀なくされ、芝浦への一時移転を経て、 1935年(昭和10年)、海軍兵学校跡地に築地市場として開設されました。
建築に注目して築地市場をご紹介することに驚く方もいるかもしれません。しかし、この世界最大の水産物卸売市場は、建設当初は最先端の建築技術を駆使した建物だったのです。
敷地の狭小さを解消するために軌道敷を円弧状にし、鉄道プラットホーム〜売場〜買荷保管所にいたる商品の動線を見事に処理した平面計画、それに沿って弧を描く鉄骨トラス梁による仲卸売場の大空間など、計画的にも技術的にも当時の最高の建築技術をもって設計されました。
仲卸売場は、簡素な外装材のせいで痛みが激しく、 70年以上の歳月を感じさせるものがあります。しかし、建設当時のモノと思われる石畳が残る仲卸売場の空間は、山型トラスによる大空間が持つダイナミズムと弧を描いて並ぶ店舗の店構えが合わさって、バザールを思わせる非日常的な空間を生み出しています。
一方、売場の背後に建つ事務所棟は、簡素なつくりながら当時のモダンな空気を現在に伝えており、中でも直線を組合わせてデザインされた時計台、円弧を描いてつながる柱と梁が連続する廊下等が見所です。
この築地市場は、流通の効率化や衛生面の改善等を目的として、平成24年に豊洲への移転が計画されています。当時の技術者の工夫の賜物である弧を描く売場も、鉄道からトラックへとシフトした流通の変化には対応できず、現在は効率的とは言えないようです。機能主義的な平面計画だけでは、時代の流れと共に変化する様々な環境に対応できないという意味で、建築計画学の限界を表しているように思われます。