【DATA】
- 所在地:東京都文京区大塚
- 設計:同潤会建築部営繕課
- 施工:大阪橋本組
- 竣工:1930年
取り壊しが進み数少なくなっている同潤会アパートの一つで、職業婦人の居住の安定を目的とした、国内でも数少ない公共による女子専用アパートとして貴重なものです。戦前から戦後にかけて同潤会の解散等の状況の変化に伴い、同潤会アパートは居住者に払い下げられましたが、この大塚アパートだけは土地建物とも東京都に払い下げられて都営住宅として運営されていました。
その後、昭和52年(1977)には居住者の募集が行われなくなり取り壊しが懸念されはじめ、平成13年(2001)に建築学界等が東京都に対して保存を要望していましたが、2003年、この保存運動の結果は実らず残念ながら取り壊されてしまいました。
建物は中庭を囲むコの字型の平面形。スクラッチタイルとフラットでテクスチャレスな材料(モルタルにペンキ塗り?)、対照的な材料をボーダー状に配したシンプルなファサードがモダンな空気をつくり出しています。 また、内部はパーゴラの架かったテラスのある日光室、蔓をモチーフとしたメイン階段の手摺等に設計者による工夫が見られ、派手さはないながらもアールデコとモダニズムの影響が混在した洗練されたデザインが展開されています。
私が訪れたときは、既に取り壊しが決まり閉鎖されていたため外観しか見ることができませんでした。外観からだけでも、エントランスポーチの曲線を基調とした装飾が施された柱、八角形と正方形を組み合わせた床タイルの割付、地下のレストランに続く階段の降り口に設けられた植物をモチーフとしたグリルなど、そのデザインの片鱗に触れることができました。全体を通じてどことなく柔らかい印象を受けるのは、設計者が女子専用のアパートだかということで意図したことなのかもしれません。
大塚女子アパートの取り壊し後、この敷地の具体的な利用の見通しは立っていないと聞いています。東京都は、独自の指定登録文化財制度をもち「歴史的景観の保全」を政策として実施していいるにもかかわらず、なぜこの貴重な文化財を有効に再利用できなかったのか、疑問を抱かずにはいられません。
同潤会大塚女子アパートの保存を巡る動き[同潤会の建築を考える会]
同潤会アパートは1930年代のアールデコの影響を受けたデザイン要素と当時の職人技術の結晶が多く見られる貴重な建築遺産だと私も思います。これらが消えていくのは寂しいかぎりですね。
Takumi.Tさん、コメントありがとうございます。
私は、この大塚と青山、江戸川は見ることができましたが、
代官山や清砂は見ることができませんでした。
同潤会アパートの中で残っているのは三ノ輪アパートくらいでしょうか?
貴重な都市景観が失われるのは本当に残念です。