【DATA】
- 所在地:東京都千代田区有楽町1
- 設計:横河工務所(松井貴太郎)
- 施工:大林組
- 竣工:1930年
日比谷公園に面して立つ昭和初期の事務所建築です。東西に細長い平面を持つこの建物は、外観は優雅さよりも大味な印象受けますが、よくよく見てみるとなかなか複雑なデザインが展開されています。
西洋建築を取り入れようとしたこの時期の建築物の例に漏れず3層構成のファサード。中層部と上層部はタイル張りとなっていますが、目を引くのは下層部のボルトを表した石張り。このような表現は、ウィーン・ゼツェッシォンを率いた建築家オットー・ワーグナーによる郵便貯金局(Postsparkassenamt/1906)にタイルをボルトで留めた表現が見られますが、国内では珍しいデザインなのではないかと思います。
外壁にリズム感を与える窓の開け方も独特です。中層部は3つの縦長の窓を1単位とすることによって変則的なリズムとしながら、下層・上層部は上部の角をとった柔らかな形の大きな窓が中層部のリズムに合わせて規則的に並び、これらが積み重ねられることで変化のあるリズム感をファサードに生み出しています。
さらに、ファサードの中心は、低層部にアーチ窓、中層部にはアールのついた壁面と垂直性を強調する付け柱。さらに、高層部は、壁がセットバックして、アーチを組み合わせてデザインされ、これらの3つの異なる要素の組合せによって正面性が強調されています。
ここに見られる表現は、当時の国内の建築家が目指した西洋の建築様式を単に踏襲するでもなく、当時の最先端のデザインであったインターナショナルスタイルを模倣するでもなく、近代にふさわしいデザインを模索した、迷いや苦悩が多く現れた結果だと思います。
一方、内部に目を移すと、ビルの端から端まで続く2層吹抜けのアーケードが圧巻で、その左右に店舗や事務所が並んでいます。このようなアーケードは大阪ビルヂング旧館や解体されてしまった旧丸ビルといった同時代のオフィス建築にも見られます。それらの中でも、90mもの長さの大胆な吹抜け、短手方向に架けられた扁平したアーチが連続するダイナミックな空間は圧巻です。そこに施された鳥の彫刻や星型のレリーフ、中間に設けられた半円形のエレベーターホール等、外観とは対照的に、手の込んだ装飾が施された濃密な空気が漂っています。
この建物を設計した横河工務所は、1903年(明治36年)に発足した日本初と言われる設計事務所です。創業者の横河民輔は横河橋梁、横河電気などの創業者としての顔も持っていて、デザイナーと言うよりはエンジニアとしての側面の強い人物だったようです。一方、その横河工務所で三信ビルの設計を担当した松井貴太郎は、一部保存されながら高層ビルに建替えられた日本工業倶楽部の設計者でもあり、意匠の名手として名を残しています。
設計に手腕を発揮する一方で、建築批評家としても精力的に活動した側面もあり、岡田信一郎らと共に月刊誌「建築」の編集にも携わってしました。同時代の国内・海外の建築と一線を画す三信ビルディングのデザインが生み出された背景には、そのような活動も影響を与えていたのかもしれません。
三信ビルの内部の写真を先日見に行ったときのものに更新しました。
初めまして。
私はこのビルが大好きです。
時が止まったかのような濃い空気の中を歩くと、とてもエレガントな気分になれます。
特に用事がなくても、日比谷に行くと
必ず立ち寄っています。
エレベーターの前に置かれたクリスマスツリーを先日見に行きました。
オーソドックスで品の良い素敵なツリーでしたが、人通りもあまりなくなってしまった今日このごろですから、
ひっそりとして、ちょっと寂しそうでした。
素敵な写真がいっぱいですね。
またお邪魔したいと思います。
よろしくお願いします。
茶菜さん、はじめまして。
三信ビルディング、ホントにいい建物なんですけどね。
昨日も足を運んだのですが、
テナントさんが少なくなったせいもあり寂しかったです。
ぜひ、三信ビル保存プロジェクトにもコメントをお寄せください。
写真、気に入っていただいてうれしいです。
スナップ写真はフラフラ歩いるなかで目にした日常の風景がメインですが、
よろしければご覧になった感想をお聞かせください。
こちらこそよろしくお願いします。
父の勤めていたビルです。
2014年に亡くなったのですが
子供の頃一度だけ連れて行ってもらった
ビルの内部を懐かしく拝見しました。
そのエレガントな雰囲気は大人になった今でも
柔らかい記憶として覚えています。ありがとうございます。
麻里子さん
お父様がお勤めになっていたんですね。三信ビルは、本当にいい空間でした。また三信ビルを観たくなったら、いつでもいらしてください。