赤い壁01」への2件のフィードバック

  1. 神保町にも残り少なくなった「看板建築」ですね。私は昭和28年、神保町3丁目29番地銅板の看板建築の小さな家で生まれ育ちました。当時は、このような二階建て木造住宅が密集し、四季折々の下町情緒に溢れてました。今は、共同ビルという大きなビルが建ってます。貴重な「看板建築」ですが一軒一軒無くなっていくのが惜しまれます。

  2. 看板建築はずいぶん減ってるようですが、
    両国から神田近辺までの広い範囲で残ってますね。
    たいていは銅板噴きのファサードで緑色ですが、
    神保町の路地に面した、この看板建築は、
    赤色のファサードがとても鮮やかで際立っていました。

コメントは停止中です。