国立西洋美術館

国立西洋美術館 外観

【DATA】

  • 所在地:東京都台東区上野公園
  • 設計:(本館)ル・コルビュジエ、(新館)前川國男
  • 施工:清水建設
  • 竣工:1959年、1979年

第二次大戦後にフランスから返還された「松方コレクション」を収蔵するために計画された美術館で、日本で唯一のル・コルビュジエの作品です。
コルビュジエは世界美術館計画案(1929年)やパリ現代美術館計画案(1931)において「四角の渦巻き型に発展する美術館」を繰り返し提案してきましたがしばらく実現することがなく、結局、インドのアーメダバード美術館、同じくインドのチャンディガールの文化センター、そしてこの上野の美術館の3作品だけで実現されました。

19世紀ホール
19世紀ホール
本館展示室
本館展示室
新館から中庭を介して本館を見る
新館から中庭を介してみた本館
新館展示室
新館展示室

また、コルビュジエはこの美術館を単なる美術館とするのではなく文化センターとして構想し、この美術館とともに「企画展示場」と「劇場」を併せて提案していますが、これらについては様々の事情から実施されることはありませんでした。ただし、企画展示場は、1967年にチューリッヒのル・コルビュジエ・センターとして実現しています。
大きな正方形の開口部を片側に一つだけ設けた展示空間がピロティによって持ち上げられたシンプルな外観。その外壁には土佐の青石が嵌められ、近景と遠景での表情が異なる面白い視覚効果を生み出しています。ただ、開口部の前面に設けられたバルコニーを支える下窄まりの柱にコルビュジェらしいデザインが見られるものの、広場に面するその姿は、コルビュジエによる同時期の作品と比べると静的な印象を受けます。
来場者は全面の広場からピロティを介して内部に向かいます。ピロティからエントランスホールにかけては天井高を低く抑えた落ち着いた空間となっていますが、そこから導かれる19世紀ホールは一転して三角形に開けられた大きなトップライトのある2層吹抜けの大きな空間となります。 このホールは、2階に来場者を導くスロープや展示室から張り出したバルコニーによって動的な空間が展開し、ここに至るまでの静かな表情の外観、落ち着いた雰囲気のエントランスは、美術館の中心であるこのホールに導くための効果的なアプローチとなっています。
スロープを通ってたどり着く常設展示室は、正方形平面を卍型に緩やかに分節したた平面を持つ「四角の渦巻き型に発展する美術館」として構想された空間。 19世紀ホールに面したバルコニー、卍型の交差点にある開口部、 5mと2.26mの2種類の天井高、ロフトのような小さな展示空間等、展示室全体が立体的に構成されていて、最近の博物館ではあまり見られない変化に飛んだ空間を生み出しています。当初は、この天井高の差を利用したトップライトから自然光を取り入れるよう設計されましたが、現在では空間構成はそのままにトップライト内に照明器具を設置しているようです。アプローチから展示室に至るまで来場者が体験する、静と動が巧妙に組み合わされた一連の空間構成は本当に見事としか言いようがありません。
一方、本館の背後に建つ新館(1979年)は前川國男の設計によるもので、コルビュジエの構想通り渦巻き状に発展することはありませんでしたが、コの字型の平面で本館に接続し中庭を介して本館を望むその構成は、師匠であるコルビュジエの本館を主役として、自らは脇役に徹しようとする意図がうかがえます。しかし、当然のことながら単なる本館の引き立て役に終わっているわけではなく、カメラの絞りのようなトップライトが天井に並ぶ展示空間は見所の一つです。(ただし、現在は運営上の問題から開けれれることはほとんどないそうです)
本館が竣工するまでの間には紆余曲折があり一筋縄ではいかなかったようですが、コルビュジエによる基本設計に基づいて彼の弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正によって実施設計と工事監理が行われて実現に至りました。その尽力を伝えるエピソードの一つに、実施設計における具体的な細部寸法の決定に際してはモデュロール(コルビュジエが提唱していた人体寸法と黄金比による寸法体系)が忠実に用いられたことが伝えられています。また、1998年には前川建築設計事務所の設計によって免震改修工事が実施されており、私達は近代建築の巨匠が残してくれた見事な空間を体験し続けることができます。